留学記

【孤独と戦う留学記】17歳で一人アメリカへ行った話④新しいホストファミリー

「Good morning」

できる限りの笑顔を作り、お父さんに挨拶をした。

「Good Morning イッシー」お父さんもいつもと変わらない返事をしてくれた。

 ホストチェンジを告げられた翌日の朝だ。きっとあんなことを言ってしまった翌日だ。お父さんだって私が落ち込んでいる姿を見たくはないはず。

 それから二日間、いつもと何一つ変わらない日々が続いた。お父さんもいつも通り接してくれるので、私もいつも通り接する事が出来た。

このままホストが見つからなければ良い。

そう思っていたが、留学財団から新しいホストファミリーがいる事が伝えられた。

 ホストチェンジを告げられてから1週間後、私は半年間お世話になった家を出た。最後の最後まで、お父さんの愛を感じたし、最後の最後まで自分も笑顔を作る事が出来た。お父さんが望んでいた明るい留学生を演じる事が出来た気がした。

新しいホストファミリー

 新しいホストファミリーは、お父さん、11歳の子、5歳の子の3人家族だった。同じ街に住んでいたので、学校を転校する必要もなかった。

 お父さんは昼は学校の先生として働きながら夜は大学院に通っていた。

 11歳の女の子は、生まれつき耳が聞こえないらしく補聴器をつけていて、手話で会話をする事があった。

 5歳の男の子は、一生懸命私に英語を教えてくれようとするとても可愛い子だった。

 しかし、新しいホストファミリーでの生活は些細な悩みの連続だった…

 小さい子がいる家庭ではどこもそうなのかもしれないが、朝はお父さんの怒鳴り声で目を覚まし、機嫌が悪いと私にも矛先が向けられた。

 大学院で帰ってくるのが遅いお父さんの代わりにご飯を作ろうと思うが、家にあるのはお菓子かマカロニチーズのみだったので、夕飯をそれで済ませることも少なくなかった。(子どもたちは大喜びだった。)

 熱を出して薬を飲もうとしたら、牛乳で飲まないとダメだと意見を押し付けられ、それでも水で飲むと不機嫌になる事があった。

 週末には動物園や遊園地などに子どもたちを遊びに連れて行く事が多かったが、入園料はいつも自腹だったのでお金がない私は行かないことも増えていった。

 前のお父さんのところにたまに遊びに行く事があったが、新しいお父さんは、それが不思議でならなかったらしい。追い出された人の家に行く意味がわからないとよく言われてた。それを言われる事に対して私は良い気持ちがしなかった。

 今の家族とは反りが合わないそう思っていた。

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